1000人のチェロ・コンサートとは

スタートからの流れ

 1998年11月29日に神戸ワールド記念ホールにて阪神・淡路大震災復興支援と世界平和を祈念して第1回1000人のチェロ・コンサートが開催されました。当時ベルリン・フィルハーモニーのチェロ奏者で「ベルリン・フィル12人のチェリスト」の創設者でもあったルドルフ・ヴァインスハイマー氏が1996年の来日時に弊会理事長の松本に「日本で1000人のチェロを」との誘いに応え、東奔西走して成功させました。当時ご存命だった高円宮憲仁親王殿下が名誉総裁をお勤めくださり、三人のお嬢様とともに1,013名の内の4名をご家族で占めてくださいました。

 参加者の中には「阪神淡路大震災の時には何のお手伝いもできなかったけど、チェロを弾くことで被災地の方々への勇気づけができるなら…」との思いで臨んでくださったチェリストも大勢いました。また聴衆の何割かの方々も被災者でした。

 一瞬にして6400余名の命を奪った大震災の悲劇に、演奏者も聴衆も世界で初めて響いた1000人のチェロ・コンサートの癒しの響きに多くの方々が涙しました。その感動は高円宮様のその後のお言葉の随所に現れました。コンサートそのものも、CDを聴いたプロの音楽関係者をして「1000人という多数の奏者が奏でてこんなに人々を感動させ、またなんとも言えない音色と響き、それはまさに音楽史上に新しいジャンルを作りあげたものだ」と絶賛を惜しみませんでした。

 その感動と成功は、その後も高円宮様をして積極的に一周年の同窓会、二周年…へのご参画、2001年7月29日の第2回1000人のチェロ・コンサート開催へと続き、本協会設立へとつながったわけです。

 また、1999年秋には第1回1000人のチェロのCDを聴かれたムスティスラス・ロストロポーヴィチ氏から松本理事長にぜひ会いたい、との申し入れをいただきました。それから理事長は同氏と7〜8回の面談を重ね、2005年5月22日の第3回1000人のチェロ・コンサートが実現しました。そのコンサートは1週間の会期にわたるInternational Cello Congress in Kobeの最終日を飾り、同氏自身が指揮をしてくださいました。最前列にはコンサートマスターの林俊昭、D.Geringas、堤剛、S.Haack、D.Na、M.Kliegel、R.Weinsheimer、R.Trenkler、林峰男、寺田義彦、松下修也、二列目には岩崎洸、山崎伸子、石坂団十郎、倉田澄子、長谷川陽子(敬称略)といった錚々たるチェリストが演奏に加わりました。

 そして、第4回1000人のチェロ・コンサートは2010年5月16日、初めて神戸の地から広島での開催となりました。【広島から世界平和の願いを込めて】と題して、5歳から83歳まで、海外からは72名もの方々にご参加いただき、平和への祈りを捧げたコンサートとして大成功をおさめました。

 2011年3月、私たちの国は、東日本大震災という未曾有の危機に見舞われました。地震、津波、そして原発事故。東北はいまだに傷ついたままのところも多く、復興も遅れています。私たちは、再びあの第1回の、鎮魂と復興を願った真心をたずさえ、仙台に集い、励ましの声を届けたいと決意し、第5回1000人のチェロ・コンサートを2015年5月24日(日)に開催することにしました。

 100人よりは300人、300人よりは500人、500人よりは1000人。一つのパートが100人以上になりますと音程が紐のような太さになり、少々ずれた音もその中に入ります。そのことが正確な音程のアンサンブルを形作り、なんとも言えない音色を醸し出す1000人のチェロ・コンサート。

 一緒に1000人のチェロの輪の中に入って、実際に演奏した人にしか体験のできない至上の感動を、ぜひあなたも味わってください。

ヴァインツハイマー氏の追憶

早稲田大学でのデビュー

1966年、早稲田大学大隈記念講堂にて「チェロ・クァルテット」デビュー 1966年7月、3人の同僚を誕生日に招待したときには、これが40年後に最大のチェロ・サミットに発展しようとは思いもかけませんでした。チェロ・カルテットの演奏を思いのほか楽しんだ我々4人は、ぜひこのアンサンブルで演奏会を開こうと思い立ちます。

 同年秋、カラヤン指揮の日本公演の際にその機会が訪れました。我々のカルテットは、早稲田大学の大隈記念講堂で1500人の学生を前に「デビュー」を飾り、NHKのスタジオでも放送用の演奏を行ないました。カルテットの評判は上々で、翌67年のザルツブルク・イースター音楽祭での演奏は、オーストリア放送(ラジオ)で放送されました。

1972年、ザルツブルグのモーツァルテウムにて「ベルリン・フィルの12人のチェリスト」誕生 1971年、オーストリア放送の録音部長ハリング氏から一通の手紙が届きます。「ベルリン・フィルのチェリストは12人でしたね。まさにその12台のチェロ向けという珍しい編成の曲を見つけたのですが、このクレンゲルの『ヒムヌス』を録音してみませんか?」

 我々はこの申し出を喜んで受けました。1972年3月25日、ザルツブルクのモーツァルテウムで後に世界にその名を知られる「ベルリン・フィルの12人のチェリスト」が誕生します。

 1992年、ベルリンのツェーレンドルフ地区が750周年を迎え、区長からこんな問い合わせがありました。「12人のチェリストのうち9人がこの地区の住民ですし、750周年の祝典で、ツェーレンドルフのアマチュア・チェリストとぜひいっしょに演奏していただけませんか」

 早速、演奏会を企画したところ、1週間で167人から参加の申込みがあり、初回の練習には180人、2回目には256人ものチェリストが集まりました。この演奏会は隣接するポツダムの1000周年記念(翌93年)も兼ねたもので、ポツダムの新宮殿前で7歳から93歳までの老若男女のチェリスト341人が素晴らしいハーモニーを奏でました。

1992年、ポツダムのノイエスパレスにてチェリスト341人のハーモニー 1992年の夏、ベルリン・フィルの12人のチェリストは日本の皇居で御前演奏をする機会に恵まれます。演奏後、私は両陛下にポツダムの演奏会の写真やビデオを見ていただき、日本でもぜひこうした演奏会を、とご提案いたしました。興味を示された両陛下は、冗談混じりに「今度はぜひ1000人で」という私の言葉に、にっこりなさいました。

 1994年、ドイツ大使館で同席した故高円宮憲仁親王殿下にこのお話をしたところ、殿下はこの提案にたいへん乗り気で、総裁役を買って出てくださいました。

 また、有能なオーガナイザーであり、同時にチェリストでも料理人でもある人物に出会います。1000人の演奏会にやはり大きな興味を示した松本 巧氏は、並々ならぬ熱意で奔走され、1998年11月29日に神戸で第1回「1000人のチェロ・コンサート」が実現します。これは、神戸・淡路大震災の犠牲者追悼のチャリティ・コンサートとして実施されました。
(以下省略)

英文でもご紹介しておきましょう。

On the occasion of my birthday in July 1966, I invited three of my fellow cello players and never would have believed that as a consequence of this invitation, after nearly 40 years, this would be the top cello performance of all times.

With great joy, we played cello quartets and were so thrilled, that we decided to present this program publicly.

This opportunity arose in connection with our Japan trip with Herbert von Karajan in the fall of 1966, when we played in the venerable Okuma Hall of Waseda University in front of 1500 students and in the NHK.

The enthusiasm was great and on the occasion of the Easter Music Festival 1967 in Salzburg, the Austrian radio station ORF recorded this program.

In 1971, I received a letter of the then production manager, Hans Haring: "You have exactly 12 cellists in your orchestra. We have found a little piece just for this unusual cast of musicians and would like to record this Klengel hymn with you."

We gladly agreed, and thus, on the 25th of March 1972, in the Mozarteum in Salzburg the world-famous group "12 Cellists of the Berlin Philharmoniker" was born.

In 1992, Berlin-Zehlendorf celebrated its 750th birthday. A request came from the mayor: "Mr. Weinsheimer, do you have any special ideas for this great festival." I suggested a birthday serenade including all amateur cellists who lived in Zehlendorf, together with nine of the 12 cellists who live in this section. There was a press conference and in the first week 167 players registered. At the first rehearsal 182 players appeared and at the second there were 256. At the concert in front of the Neues Palais in Potsdam, 341 enthusiastic musicians, ranging in age from 7 to 93, ended up playing. Simultaneously, this concert was also a message of greeting to the 1000-year-old City of Potsdam in 1993.

During the summer of 1992, we played with the "12 Cellists of the Berliner Philharmoniker" at the palace of the Japanese Emperor. After the concert, I presented a picture and a film about this concert to his Imperial Majesty and jokingly suggested to arrange this kind of concert in Japan as well, but with at least 1000 cellists. The Imperial Couple was thrilled and smiled.
In 1994 I met with Prince Takamado at the German Embassy and was able to inspire him as well, and he promised his patronage for such a concert.

By chance, I met a brilliant organizer, musician, cook. He, too, was enthusiastic at the prospect of a 1000-cellist concert. Takumi Matsumoto worked unbelievably hard, and on November 29th, 1998, the first 1000-cellist concert actually took place. It was a benefit concert for the victims of the earthquake in Kobe.