第6回東北キャラバンのご報告

高橋 明(国際チェロアンサンブル協会 理事)

やはりICESならではのキャラバンをやろう!


 2014年9月13日(土)から15日(月祝)にかけて、第6回の東北キャラバンを行ない、無事終了しました。関係する皆様に大きな感謝を捧げます。これまでのキャラバンで初めての2泊の日程。直前にまさかのアクシデントなどが重なり、準備をしてきた者としては、はらはらドキドキの開催となりました。

 ICESの理事会で2014年のキャラバンの実施の可能性について、議論になったことがありました。理事会の中でも、第5回1000人のチェロ・コンサートの正式な開催が決まり、それに注力すべきと言う意見が強くなった時です。やろうという意思決定の大きな理由になったのは、ICESとして、有志だけとはいえ、被災地に直接出かけ、できることをして、被災地からもろもろのフィードバックを受けることは、1000チェロを開催するのとは別のレベルの車の両輪の様な意義がある、ということでした。

 仙台での初めてのプレ公式練習と併せて、2日間の日程で移動できる範囲のコンセプトで、日程、演奏場所の選定を行ないました。2013年の福島の2回目のイベントと同様、仮設の集会所ではなく、今回も結果的には6ヵ所すべてが、オープンな会場での開催(復興支援ということで会場使用料も、すべて減免。無料ですみました)となりました。グリーンピア三陸みやこは、敷地内に大規模仮設住宅がたちならび、仮設の集会所と同じような雰囲気でしたが。小生の怠慢で、8月になってから全部の下見を完了するという具合で、準備が万全でなかったことを、ここにお詫びいたします。

なかなか大変な中身のキャラバンに

 前半は岩手、後半は宮城、という話になり、岩手はどうしても山田町の「復興がんばっぺし祭り」で演奏を、という強い希望から山田町スタートとなりました。祭の事務局からは丁寧な指示があり、下見ができなかった唯一の場所でしたが、安心して設定できました。

 次にその日の最終は大船渡ということで、2012年7月28日のリアスホールマルチスペースをあたりましたが、すでに先約あり。そこで盛駅の隣のカメリアホールにしました。また、その間に宮古にいって、浄土ヶ浜も見たいということで、宮古の担当の方に伺ったところ、グリーンピア三陸みやこが良いと推薦いただき、立派な体育館と、協力的なスタッフ、敷地内の広大な仮設住宅群ということでここもそのままゴーとなりました。大船渡に下見に行った日は、大船渡港祭り+花火大会の日で、大船渡が年で一番混雑する日。大渋滞に巻き込まれ、花火は碌に見られませんでしたが、東海新報社の木下繁喜さんにお会いし、懐かしさもあって、おいしい屋台村の料理を堪能できました。

グリーンピア三陸みやこの会場となる体育館

 後半は宮城。閖上はどうしても行きたい、ということで、港朝市の理事長にお会いしたところ、二つ返事で会場の設営アイデアまでいただきました。理事長の提案で、閖上での会場のメイプル館はキャパが小さいので、復興支援にも積極的なイオンモール名取を紹介いただきました。セキュリティがとても厳しく、当日難渋するだろうと思いつつ、担当の方のなれた対応につい算段が甘くなってしまいました(しかも、当日その担当の方がおられないという、信じられない事態に唖然)。ここをどうするかが今回のキャラバンの最大の問題点だったのですが、何とか一つでも多くやりたいという気持ちの方が勝ってしまい、ここもやることになりました。宮城の最後は、亘理から山元町ということになったのですが、当初考えていたトレーラーハウスが小さすぎ、急遽、町役場の生涯教育課に相談。中央公民館のホールが良いだろうということになりました。山元町のお祭りの日に下見に行き、「あぁ、ここでやりたい」と思いました。

本番は9月13日(土)から

懇親会の面々(キャラバン隊と、仙台からの参加者)

 プレ公式練習終了後、仙台駅方面へ移動。ホテルに車をあずけ、「こちらまる徳漁業部名掛丁店」へ。東北の海の幸、山の幸に恵まれて、また、プレ公式練習指導、本番の指揮者の田久保裕一先生も加わっていただいての懇親会となりました。急遽、プレ公式練習だけ参加の方も来場いただけるようにしたので、

田久保先生を囲んで

いよいよ仙台で1000チェロをやるんだ、という雰囲気が盛り上がりました。仙台から初めて参加の方々にもご挨拶をいただいたり、明日からのキャラバンにも初めての参加の方々にもお話をいただいたりしながら、短い時間でしたが、懇親の輪が全国に広がりました。

岩手は遠かった(2日目、全行程は310kmあまり!)


 懇親会後にそのままマイクロバス、ハイエースと自家用車の3台で、一関に向かいました。この日は連休初日で観光シーズン。どうしてもホテルが仙台市内で取れなかったのと、2日目の強行日程を少しでも緩和したいという思いからでした。いろいろアクシデントはありましたが、無事チサンイン岩手一関インター着。そのまま爆睡(だったと想像します)。

 14日は、そろそろ秋風のたちはじめた東北道を北上、310kmの岩手県内の行脚が始まりました。水沢ICから国道、県道を辿って、山を越え、釜石経由で山田町まで向かいました。あいかわらず岩手県は広く、自然が豊かで、日本の原風景があちこちに残されています。釜石からリアス海岸の沿岸を北上して山田町まで、休憩時間を含まずに約3時間でした。「復興山田がんばっぺし祭り」会場に着くと、舞台では今から安来節がはじまるところで、周囲はすっかりお祭り気分。舞台と観客席をざっとチェックして、演奏可能と判断(屋外の会場なので、天候や舞台の状況によっては、演奏断念もありえたのです)。

舞台から観客席を見る

 キャラバンで、このような大舞台での演奏は初めてで、しかも今回のキャラバンの弾き初めでしたから、観客も、演奏者も戸惑いがありました。しかし、田原さんのなれた司会と、寺田先生の笑顔の演奏で、会場の雰囲気も安来節からクラシック音楽の世界にワープして、最後は皆さんとふるさとを3番まで歌い、会場係の方々へのお礼の挨拶もそこそこに宮古に向かいました。

 途中、海鮮料理のおいしいお店を偶然発見して、ありがたい昼食をいただくことができました。嵩上げ工事と、防潮堤建設が進む一方、まだまだ生活が戻っていないもどかしい風景が続きます。田老では有名な「万里の長城」の二重に破壊された防潮堤を右手に見ながらの道中でした。

 2番目の会場は、グリーンピア三陸みやこ。会場に到着すると、設営は終わっているもののお客様は少なめでした。同日の少し前に別の場所で歌謡ショーが行なわれており、まだ続行中との話で、それが終了するのを待ちました。結局開演は30分くらい遅れて、しかし、用意した椅子がほぼ埋まる盛況となりました。ここでは指揮者体験コーナーや皆で歌おう、も含めたフルバージョンの演奏を行ない、愉しんでいただけました。宮古の誇る三陸の景勝地、浄土ヶ浜へは時間がなくなり、訪問はかなわず、そのまま、大船渡に向かいました。この判断と道案内を大船渡から参加いただいた吉田さんにしていただき、大変助かりました。

指揮者体験を楽しんでいただきました

 大船渡はカメリアホール。19時開演の予定が10分くらい遅れての開演で済みました。前回大船渡の時のリアスホールと違って、奏者は舞台に上がっての演奏となりました。ふるさと、浜辺の歌、千の風になって、明日という日が、上を向いて歩こう、見上げてごらん夜の星を、北国の春、などと歌い進んでいくうちに、奏者と会場が一体になって暖かい雰囲気に包まれました。マイクを会場の方に渡して、大きな声をだしてもらいました。

 後片付けをささっと終えて、そのまま活魚すごうに向かいました。前回のキャラバンでも昼食をいただいたおいしい、割烹です。キャラバンの伝統になっている、現地の方からお話を聞く企画をここで行いました。元東海新報の木下繁喜さんからは、気仙地域の内陸の町が、震災直後から自治体の制約を超えて、大船渡など震災被害の酷かった方々のために木造の仮設住宅を作られた話を伺いました。また、大船渡から奏者として、プレ公式練習、そして岩手のキャラバンを同行いただいた、吉田美和さんからは、被害状況が延延と流れているラジオを聴きながら、震災後初めて聴いた音楽、アンパンマンマーチで、おにぎり隊の面々が一斉に泣いた話を伺いました。日常としての音楽の力に一同感動を新たにしました。

大船渡湾のご来光から3日目(9月15日)が始まった

大船渡温泉からのご来光

 宿泊と、朝食は、7月31日に完成したばかりの大船渡温泉。露店風呂からの大船渡湾の景観が素晴らしく、早朝にはご来光を満喫することができました。5時半から碁石海岸まで行った猛者も2名ほどいたようです。

メイプル館内部での演奏の様子

 仙台市南部の名取、ゆりあげ港朝市には、休日には沢山のお店に新鮮な海の幸を求めて、近隣の多くの方が集っていました。バスの中での景色は、土台だけの建物の跡と、嵩上げ工事、そのための膨大な量のトラック。日和山とできたばかりの慰霊塔には、バスの中からお参りしました。15日から参加の4名が合流しました。

イオンホールでの演奏の模様

 次の会場のイオンモール名取、イオンホールは、入場の手続きが煩雑で、また、車両の駐車場所についても細かい指示がありました。その内容が参加者に伝わっていないこともあって、スムーズに準備が進められず、皆様には不快な思いをさせてしまい反省しております。昼食はモール内のフードコートを各自利用頂きましたが、混雑が酷く、ここでも十分な昼食が取れない方がおられました。また、巨大モールで、お店の方でも周知徹底に努力されていましたが、十分な観客がお集りいただけない状態で、少し時間をおいて、集客につとめたところ、小さなお子様連れの親子の方々が沢山来ていただきました。

山元町中央公民館での演奏の模様

 最後の会場は山元町の中央公民館。事前のチェックではこの移動は自動車専用道、高速を使えば30分だったのですが、高速の一つ前の出口で10km先渋滞の表示。会場の設営のために先遣隊も派遣していたのですが、全部の車両がこの渋滞に巻き込まれ、身動きができない状態になりました。あとから調べたところ、国道6号線の福島第一原発の近くを通過する部分がこの日から一般車の通行が再開されたことと関係していたようです。

 どうしようかと目の前がまっくらになりましたが、幸い早く通過できた、ETCカードを装備した3台の車が本隊到着前に会場に到達でき、設営とトークとソロの演奏をお届けくださり(まったく自主的に機転を利かせていただきました、ありがとうございました。)、何とか本番は30分遅れでお届けすることができました。

キャラバンの精神とは?


 最後に、キャラバンの報告に書き続けてきたことの、まとめのようなことを書いてみます。

 私たちのキャラバンは、素人の音楽を、被災地域に届けるものです。その志は物質的な見返りを求めないボランティアの精神をもって、被災地域に直接足を運び、その地域の方々のエネルギーや思いをいただいて、また、自分の持ち場に帰る、そしてそのことは誇って良い、何者にも代えがたいICESの活動として定着してきたと思います。前回のキャラバンのまとめに「持ち寄る思いの中身」について書きましたが、その部分も含めて、私たちはきわめて自主的に上記のことをたんたんと行ってきたのです。多くの参加の方から、今後のキャラバンはどうなるのか、というお問い合わせをいただきました。現時点では何も答えるべき内容を持ち合わせていないのですが、2点だけお話できると思います。

 1点目は、キャラバンは音楽(だけではなく実はあらゆる芸術活動と言い換えても良いかも知れません)を奏でる方ならどなたでもできることです。私たちはこれまでのキャラバンで蓄えてきたノウハウをいつでも提供いたします。ぜひご自身で、ご自身のキャラバンをされたらいかがでしょうか? 2点目は、ICESとしてできたら本番(第5回1000人のチェロ・コンサート)の前後のタイミングでもう一度どのような形にせよ、キャラバンをやりたいという個人的な希望を持っています。会員皆様の叡智をお寄せいただければ幸いです。ありがとうございました。


ようこそ大船渡へ!


 1000チェロ キャラバンの皆さん


 遠く大船渡までお越しいただき、ありがとうございました。震災後たくさんの支援と思いをいただいて、私たちは元気に過ごしています。震災前にはとても考えられなかった多くの人が東北にかかわっていただき感激しています。


 震災の時、音楽家の方が「音楽なんてやっていていいのだろうか、音楽なんて何の役に立つんだ…」と嘆いておられた声を幾度も聞きました。確かに着の身着のままで寒さをしのぎ、何が起きているのかまだ判然としない時に音楽は頭にありませんでした。けれど命をいただいて生きていこうとする時、大変な時だからこそ必要なのが音楽だということを身をもって体験しました。


 私は震災直後から、市役所に集まってくる多くのおにぎりを各避難所へ分配するおにぎり隊に参加していました。寒い時期でしたが暖房器具がなにもない中で動いていました。作りたての、ホカホカと温かいおにぎりのたくさん入った段ボール箱に抱きついて「あったかいねぇ、みんなに温かいの食べてもらいたいねぇ」と言い合いました。


 電気が通っていないので情報はラジオだけ。そのラジオで流れているのは、亡くなった人の名前と、どこの避難所に誰がいるか(生きているか)という内容ばかりでした。その情報に聞き耳を立てながら、皆、妙にハイテンションな状態で働いていました。そんな時アナウンサーの方が「子どもたちもラジオを聴いていると思うのでどうぞ」と、アンパンマンの歌が流れてきました。それまで、興奮状態でがやがやしていたみんなが、笑顔で、でもぽろぽろ泣きながら聴き入りました。久しぶりに耳に入ってきた「メロディー」でした。


 また、約1ヵ月ぶりに電気が通った翌朝、避難先の家のテレビをつけると、BSテレビで弦楽四重奏が流れていました。テレビの前でしばし身動きができないくらい感動し、私が今、必要なのはこれ!と思いました。真っ暗な瓦礫の山のなかで、いつも通りの気持ちを保つので精一杯だったことにその時、気づかされました。


 震災後、多くの支援コンサートが大船渡で開かれました。これまで遠い存在だった巨匠と呼ばれる方から、心づくしの子どもたちの演奏など、たくさんの方々に来ていただきました。私たちは震災でひどい目にはあいましたが、特に我慢している気もなく、普段の日常の生活を送っていると思っています。でも、心のこもった音楽を聴いた時、心が解きほぐされ、温かい涙を何度も流しました。音楽の種類に関係なく、音楽には本当に力がある、困難なときにこそ必要なものなのだ、と心から思います。


 大船渡市で今、チェロを弾いているのは、私一人だけです。いつも一人で弾いているので、1000台ものチェロが、東北の地に並ぶなんて夢のようです。皆さんとの演奏を楽しみにしています。

平成26年9月29日 吉田美和(大船渡在住)

小さな町の大きな後方支援
  東日本大震災と岩手県住田町


○東海新報記者 木下繁喜さんからのメッセージ


 国際チェロアンサンブル協会の皆様には東日本大震災の震災地にいつもお心をお寄せ下さいまして、心から感謝を申し上げます。
 9月14日から1泊2日の日程で岩手、宮城両県の沿岸6会場で復興支援コンサートを開催していただき、本当にありがとうございました。大船渡市では来場した方々が皆様の演奏を聴き、一緒に歌い、涙する姿がありました。音楽の力を改めて実感するコンサートとなりました。
 前回頂戴したご縁から、コンサート終了後は交流会にも加えていただき、そのうえ拙い話をさせていただく機会まで頂戴しました。身に余る光栄とただただ感激するばかりでございました。
 今回の交流会では私自身が取材していて心をふるわせ、涙した話をご紹介させていただきました。後日、今回のコンサートキャラバンの事務局、高橋明さんからその時の話を原稿にまとめて会報とHPに寄稿していただきたい、とのメールを頂戴致しました。皆様のご支援に少しでもご恩返しができればと思い、書かせていただきました。
 来年5月、仙台で開かれる「1000人のチェロコンサート」のご成功を心よりお祈り致しております。


   ◇      ◇      ◇      ◇


 岩手県沿岸南部にある大船渡市と陸前高田市、住田町は昔から「気仙(けせん)」という地域名で呼ばれ、一つの共同体として歴史を刻んできました。震災前の人口をみると、私が暮らす大船渡市が約4万人、陸前高田市が約2万4千人、住田町は約6千人です。
 住田町は大船渡、陸前高田両市の西隣の内陸部に位置しています。総面積の90%を山林が占め、『森林・林業日本一の町づくり』と取り組んでいる町です。その町が東日本大震災で壊滅的な被害を受けた大船渡市と陸前高田市の被災者を助けるべく、総力を挙げて後方支援していくことになりました。
 その一つが津波で家を失った両市の被災者のために建設した一戸建ての木造仮設住宅です。町産材を活用し、町内3カ所に93棟を建て、提供しました。そのために年間の一般会計予算が約40億円という町が〝虎の子〟の自主財源を3億円も投じました。
 しかし、住田町の仮設住宅建設は法律から逸脱していました。災害救助法では仮設住宅は被災した市町村内に、都道府県が建てることになっているからです。住田町は東日本大震災で津波被害を受けていませんし、建設主体となる都道府県でもありません。
 しかし、住田町の多田欣一町長は震災3日目の3月13日、住田住宅産業(第三セクターの工務店)に木造仮設住宅の建設に入るよう指示を出します。
 3月17日には町議会の全議員に対し、仮設住宅を早期に完成させるため、議会の議決がなくても町長の決定で事業が行える「専決処分」を認めてほしいと訴え、理解を得ました。議会の正式な議決手続きを踏んでいたのでは着工までに4、5カ月はかかるのです。18日には専決処分が行われ、22日には早くも着工。5月に被災者に入居してもらうことができました。
 こうした住田町の取り組みは当初、国や県から理解を得られなかったと言います。では何故、住田町は法律を逸脱し、自前の予算を使い、国・県の意向に反する事業を行ったのか。
 多田町長は震災翌日の3月12日、大船渡市と陸前高田市を見舞い、避難所を訪ねました。そこで目にし、耳にしたのは歴史も文化も経済も、そして生活も言葉も同じくする気仙の人たちが体育館の中で寒さに震え、一つのお握りを分け合って食べる姿でした。
「震災で助かった人たちを本当の意味で救うため、一日も早く仮設住宅を造り、普通の生活に戻してあげたい。平時のように悠長なことをしてはいられない。法律的には良いことではないが、大震災という非常時の対応として、同じ生活共同体に暮らす者の責務として、住田町は何としてもやらなければならない。国のルール、県のルールではなく、被災者のルールに立とう!」
 多田町長はそう決意し、翌13日には住田住宅産業に指示を出していたのです。多田町長の思いは町職員も、町議会議員も、町内の林業関係者も、そして何より住田町民の誰もが共有するものでした。
 住田町は当初から国や県の資金を当てにしていませんでした。むしろ国や県の予算を入れればさまざまな〝縛り〟が生じ、早期完成ができなくなることを恐れたのでした。
 住田町の木造仮設住宅が新聞やテレビで大々的に報じられ、入居が始まった5月中頃、「国が交付金を出すので申請を」という話が国と県からありました。住田方式が追認されたのです。しかし、住田町は交付金の申し出を断りました。音楽家の坂本龍一さんが代表を務める森林保全団体「モア・トゥリーズ」(東京)が着工間もない3月末、募金を募って建設資金を支援すると申し出てくれていたからです。
 長屋形式のプレハブ仮設住宅と異なり、住田式の一戸建て木造仮設住宅は家族間のプライバシーを保つことができます。木の温もりにあふれ、冬場の結露もほとんどありません。入居した人たちから大好評を得ています。住田町の取り組みは新たな前例を作り、被災者救済や仮設住宅のあり方を変えました。
 一方で、さまざまな後方支援を行った住田町にも〝反省点〟もまた、あったようです。
 震災翌日、陸前高田市から消防団員が住田町役場に来て、「粉ミルクがほしい」を支援を要請しました。住田町の年間出生数は30人前後で、粉ミルクを置いている店もあまりありません。粉ミルクを買い求めるため、町役場では職員たちを県内陸の遠野市や奥州市に送り出しました。
 職員たちが出発した後、消防団員が再びやって来て、「粉ミルクには何カ月児用、何歳児用というのがあるのですが、分かっているでしょうか?」と言うのです。買い出しに向かった職員たちはいずれも男性で、「粉ミルク」ということだけで出かけて行きました。彼らに連絡を取りたくても当時は携帯電話がつながりませんでした。町役場では買い出しの第2陣を送り出しました。
 それからしばらくして、また消防団員がやって来ました。そして今度は、「粉ミルクだけでなく、哺乳瓶も買って来てくれるでしょうね!」と言うのです。町役場では第3陣を送り出すことになりました。
 細かく言えば、哺乳瓶の口も何カ月児用というのもあります。街が壊滅した状況の中にあって、もしかすると哺乳瓶を煮沸する機器や湯沸かし、あるいは水さえ必要だったかもしれません。「粉ミルクがほしい」という一言の中には、実に多くの情報が入っているのです。
 後方支援のリーダーや買い出し班に子どもを育てた経験のある女性がいれば、「粉ミルク」からさまざまなことを連想して指示したり、買って来たかもしれません。
 いずれにしても一度のやり取りだけではすまないほど、一つの言葉からは発想できないほど、支援を要請する側も、支援をする側も大混乱の中にあったということです。
 住田町の支援のおかげで、大船渡市も陸前高田市も大いに助かりました。どこかで震災が起きれば、後方支援を行う立場になる市町村があります。そうした市町村の参考になるよう、住田町では自分たちが行った後方支援についてまとめたいと考えています。


平成26年10月10日 木下繁喜 (東海新報記者・大船渡在住)

私たちにできる音楽支援をさらに続けたい


○仙台フィルハーモニー管弦楽団 チェロ奏者 山本 純さんからのメッセージ


 今回、キャラバン2日目、名取・山元のコンサートに参加させていただきました。どの会場もお客様には大変喜ばれ、一定の成果をあげたと思います。


 チェロ・アンサンブルの性格上、ある程度広い場所が必要となるわけで、閖上(ゆりあげ)の復興朝市は少し狭いのでメンバーを絞るという話でしたが、実際の現場を見てみんなでやれたのは良かったと思います。狭いなりに工夫をすれば、結構な人数でできることもわかりました。通りがかりのお客様もたくさん聴いてくださいました。


 逆にイオンモール名取は、復興支援に力を注いでいるということではありますが、実際の会場は店舗の一番奥にある会議室という閉塞的な空間で、お客様も少ないのが残念。駐車場まで10分もかかるような膨大な敷地と溢れるような人、開催実現や現場入りまでのハードルの高さ、実際の入場者の数等々のバランスが悪く、今後の開催場所の選定に問題を提起されたということでしょうか。


 山元町は良かったですね。異常な混雑に巻き込まれて大遅刻をした私たちを暖かく迎えてくださいました。やはり小さな田舎町ですし、人情を感じます。こんなところが大きな被害にあったことを改めて残念に思うとともに、私たちにできる音楽による支援も、さらに続けていくことを誓う日になりました。


(平成26年10月12日 仙台フィルハーモニー管弦楽団 山本 純)

「2014東北キャラバン」開催告知チラシ

下記のような「2014東北キャラバン」のチラシを事前に配布し、PRにつとめました。

グリンピア三陸みやこ体育館

大船渡市民交流館・カメリアホール多目的ホール

ゆりあげ港朝市メイプル館

イオンモール名取イオンホール

山元町中央公民館







「なとり災害FM」局からインタビュー取材を受けました

9月15日(月祝)、ゆりあげ港朝市メイプル館でのキャラバン演奏直前に、地元の「なとり災害FM」からインタビュー取材の申し出があり、国際チェロアンサンブル協会の田原光子事務局長が取材を受けました。5分ほどのインタビューですが、会場設営中のライブ感も味わえます。なお、「なとり災害FM」は、宮城県名取市から、周波数80.1MHzで放送している臨時災害放送局で、通称「なとらじ801」です。

→なとり災害FMによるインタビュー取材

東海新報(2014年9月18日)に取り上げられました!

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岩手県三陸南部の情報を中心に扱う東海新報が、大船渡市でのキャラバンの様子を記事にしてくださいました。カラーの写真とともに9月18日付で、取り上げられています。